ROSECOURT HOTEL
(ローズコートホテル)



 Mercia のうちにいる間に私はあちこちへ出かけたがその帰り、Marble Arch のあたりでホテルをさがした。Mercia のうちからMarble Arch までの通り沿いに、6つも見つけた。メモを持ってすまして入り、受付で尋ねる。
 
「すみません。シングルで一晩おいくらですか?」 
 ノートにメモ。その結果、一番安かったのがこのRosecourt Hotel、£60だった。

 最後の日の朝、Colin も出てきてくれて一緒に写真を撮った後、Mercia は私の荷物が重いので、車で送ってくれることになった。この辺りは一方通行の道が多くて、ぐるりと大回りをして歩いて5分のところに車で5分もかかったけれど、こうして送ってくれるMercia の心遣いが嬉しい。この人のおかげで、
万事休すの時にも落ち着いてやわらかい気持ちで過ごせた。

Mercia と Colin。Colinは足が痛むそうで、つらそうだった。



「着いたわ、ここね」

「ありがとう、Mercia」


 車の外へ出て、向き合って挨拶。私は、自分が首に巻いていた、萌黄色のスカーフを、彼女の肩にかけて、ふわりとひとつ結んだ。
「これ、あなたの服に似合うわ」
「Oh、you make me cry」
(あら、泣けるじゃないの)
 そして、ちょっとだけhug。イギリス人はアメリカ人ほどhugをしないので。
 白いブラウスに赤いウールのベスト、濃いブラウンのチェックのスラックス姿のMerciaに、その春色のスカーフはよく似合っていた。気に入っていたスカーフだったが、惜しくはなかった。
「じゃ、気をつけて。何か困ったことがあったら、電話しなさいね」
「はい、ありがとう。手紙を書きます」

「待ってるわ」







 このホテルの私の部屋は地下1階。大きなダブルベッドとテレビがデンとあった。テレビは2日間、好きなだけ楽しんだ。
 その日の午後、Yokoが菜飯をおにぎりにして持って来てくれたり、近くにあるマダムタソー蝋人形館へ行ったり、ウォーレスコレクションでのんびりと、美術鑑賞をしたり、カフェでランチを食べたり。オックスフォード通りで買い物をしたり。
 私の中ではもうすぐこのロンドンを発つのだ、という思いがあって、ちょっとだけ感傷的。

 このホテルのフロントにいた女性とよくおしゃべりをした。
彼女はトルコ人で、今は夫とロンドンに住んでいる。蝋人形館のことを話したら、
「私、近いけど、まだ行ったことないの。ね、ハリソン・フォードはいた?」
「ええ、いたわよ

「わぁ、じゃ私今度の休みに行って見てこようっと」
「ハリソン・フォード、好きなの?」

「大ファンよ。あれこそ私の理想の男性よ。結婚する前に夫に言ったの。私はあなたと結婚はするけど、永遠の恋人はハリソン・フォードだからねって」
二人で大笑い。
「で、彼はいいよって?」
「ええ、彼は私を愛してるもの」
 ハイハイ。

 私の部屋は夜になるとかなり冷えてくる。2日目の夕方「毛布を」と頼んだのに、なかなか持って来てくれない。ここまできて我慢して風邪などひいてなるものか。私はしつこくフロントへ電話をする。
「あら、まだ誰も持って行っていませんか?」
「ええ、何とかしてください」
「わかりました、すぐに」

 
 ♪待てど暮らせど来ぬ人を♪ じゃないけど、30分たっても誰も来ない。

     こうなりゃ、私が行ってもらってくるぞ。

受付へ行く。迷路のような階段で、方向音痴の私は再三迷う。やっとたどりついた受付では、サンザ迷ったような顔など、もちろんしない。
「あのぉ、毛布をもらいに来ました」
「あら、ジョージったら・・・」
とか何とか言いながら、くだんのトルコ女性とは違う受付嬢は、レジのキーを手に持って、Come onという身振り。
 ハイヒールをコッツコッツいわせて走るので、スニーカーの私も遅れじと、あとについて走る。走ることにかけては負けませんわ。地下2階のファブリック置き場で大きな黄色い毛布をどさっと渡してくれた。彼女はにっこりとして言った。
 
「頼んでおいた客室係がOKと言っていながら、忘れてそのまま、帰宅しちゃったのよ」

 
 何でもいいよ、私は寒くさえなければいいんだから。

 こういう時に、まぁいいやと我慢してしまうのが日本人らしいけど、甘く見てもらっては困る。私は£60の部屋に泊まって、部屋のバス、トイレや、床、ベッドカバー、カーテンなどが匂うとか、汚れているとかの、贅沢を言ってるわけではない。
 
薄いシーツに毛の生えたようなものだけかぶって眠るには、あまりにこの部屋は寒いのだ。
 

 上は、つまり1階はムッとして暑いくらいだ。6月だしネ。でも階下は信じられないくらい冷える。深夜ともなれば、その冷え込みは日本の12月並。
 前夜、毛布を、と頼んでおいたら、その日の夕方、電気の暖房器具が私の部屋の前においてあった。
 あら、これは助かるわ、と思ったのもつかの間。それをコンセントに差し込んで、スイッチを入れたら、バチバチッと音がして、きな臭い何かが焼けるような匂いと共に、ショートして消えてしまったのだ。
 火事になるかとびっくりしたのと、冷や汗でどっと疲れてしまって、一日目の夜は、下着をつけた上にパジャマも2枚着て、上にカーディガンや薄いコートなど、ありったけをかけて眠ったのだ。

    
   今夜はもうほんとに最後の夜。
       誰が、我慢などするものか。

ユーモラスでかわいいカード。金魚がボールを打ったら、
鉢を割ってしまった。えっ。



 フワフワの毛布をかぶってMercia に今日買ったカードで手紙を書く。今日、デパートでカードをさがしたのだ。かわいいカード、素敵なカードを、どこへ旅をしても必ず買う。
明日これをあのフラットへ持って行って入れよう。
そして6月生まれの母にも母の好きなポピーのカードで
バースデーカード。母には私が今ロンドンにいることは
内緒だから。
 荷物をパッキングして、明日のほとんどの用意を済ませて
から、シャワーを浴びてベッドにもぐりこむ。
007や、ドキュメンタリーなど、チャンネルホッピング。

ふと目にとまったのが
映画残念ながら途中である。
美しいグラスが画面いっぱいに大写しになる。カットグラスのばらの花模様が2つ。それがコロンところがる。画面のかすんだ向こうに男がいる。少しすさんだ哀しげな目をしている。グラスを回しているが、やがてそれをガシャンと割る。男は酒におぼれている。
 男の名前は Jack。

 やがて彼は若い妻を亡くしたのだということがわかってくる。なぜその妻が亡くなったのかはとうとうわからずじまい。冒頭を見逃したのだ。
 男は30代後半。コンピューター関係の会社も休み勝ち。一人、アパートで荒れた生活を送っている。会社は有能な彼をしばらく落ち着くまで、待っている。
 そんな男の両親、そして亡くなった妻の母たちが彼を心配して、とうとうあることを計画する。

 夜中、酔いつぶれて裸でベッドで寝ているJack の真上からカメラが見下ろす。ゆっくりとカメラが引いてくると、ベッドの全景。彼の右隣に小さな7、8ヶ月になる女の赤ん坊が眠っている。
 少しずつ夜が明けてくる。赤ん坊が目を覚まして、モニョモニョと動き出し、バブバブと声を出す。無精ひげの男はボンヤリと目が覚めて、少し目を開けて隣を見る。なんだ、夢を見てるんだと、男は思って寝返りを打つ。声が聞こえる。小さな赤ん坊の手がヒョイと背中に触れる。
 カパッと目を開き、振り向く。

 次の瞬間、
ぎゃ〜っと叫んでベッドから転がり落ちる。壁までさがってあまりの驚きに、腰を抜かす。  

     
 ナンダ! コレハ。

 部屋に仕掛けた、映像モニターで祖母たちが心配そうに見ている。うまくいくだろうか。彼らは Jack を立ち直らせるには荒療治が必要だと思ったのだ。
 
 結局、男は彼らの策略に気がついて怒鳴り込むが、一悶着あってから、その赤ん坊を自分で育てることにする。慣れぬミルクやオムツの世話、と赤ん坊中心の生活になる。もう酒を飲んでる暇などない。ベビーシッター(nanny)を雇って、きちんとした格好で仕事にも行くようになる。しかし、まだ、不安定な彼の精神状態。
 
 ある日、彼の家から出てきた保健婦に、待ち受けていた彼の両親と亡くなった妻の母が尋ねる。
 
「彼はちゃんとあの子を育てているでしょうか」
 「ええ。Sarahもとてもいい状態で育っていますよ」
 
「Sarah ? 」
 「あら、ご存知なかったかしら?あの赤ちゃんの名前ですよ」
にっこりと笑って、すたすたと保健婦が去って行く。

 オオ、と口元を押さえて、涙ぐむJack の母と義母。
SarahというのはJack の妻の名前だったのだ。(彼は赤ん坊に亡妻の名前をつけたのだ。)
 彼は立ち直りかけている。

 やがて彼は少しずつ自分をとりもどしていくのだが、話がうまくできていて、なかなか簡単にはすすまない。
 ひょんなことから彼のベビーシッターになった女の子役に
サマンサ・マシス、いずれは彼と一緒になるだろうと予感させる展開。祖母役にあの渋いジュディ・デンチ
 そうか、これはイギリス映画だったか。  

 Jack 役の男は主役なのに、私は見たことがない。少し頭が後退した、背の高い男。う〜ん、でもこの役、あのヒュー・グラントではピッタリこないよねぇ。
 なかなかいい映画だったので、もう一度最初から見たくて、帰国して、ビデオ屋さんでさがしてみたが、日本では未公開で、ビデオは手に入らなかった。

 ちなみに日本語の題は
「赤ちゃんに乾杯」
      
 英語の題は「Jack and Sarah」。

 30分ごとに入るCMの度に、
「オネガイ、私は、明日帰るの。最後まで見せてよね」
 と祈るような気持ち。
 ひやひやしながらも、とうとう最後まで見られて私は殊のほか、満足。これを見ていて、ロンドン最後の夜は、1時半まで起きていた。

 このホテルの朝食が
Continental style breakfast だったので、Joy がサービスしてくれたEnglish style breakfast がいかに素敵だったかも、再確認した。
コンチネンタルスタイルはコーヒーとパンだけ、なのだ。
    
(オレンジジュースもついたっけ?)

 
こうしてフツーのホテルに泊まると、
Joy や Mercia の家がどれほど家庭的で
温かかったか、ということがわかった。
 
   これもこのホテルに泊まったメリットだろう。






merciachichi